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旭市の歴史・文化
旭市にはどのような歴史や文化に関するものがあり、文化財があるかについて紹介します。また、これらは観光にとっても資源となるものです。また、旭市に関しては村の改革に捧げた大原幽学という人物がいました。この人物についても知る機会になればと思います。
1.旭市の歴史
(1) 旭という名前の由来
室町幕府滅亡後、当地を治めていた戦国武将・木曽義昌(朝日将軍・木曽義仲の19代子孫)は善政をしき、領民に慕われました。時は過ぎ1852年、京都の歌人・野々口隆正が当地を訪れ「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」と、義昌を偲んだ歌を詠み、これにちなんだとされています。
また、将来、旭日昇天のような勢いをもって発展することを願ったことが「旭」の名前の由来との資料も残されています。
なお、木曽義仲は平安時代末期の信濃源氏の武将で源義仲のことです。河内源氏の一族、源義賢の次男で、源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたります。「平家物語」においては朝日将軍(旭将軍とも)と呼ばれています。
(2) 歴史
古代、現在の旭市周辺には椿海と呼ばれる湖が広がっていました。江戸時代になり、椿海を干拓するため、新川を掘削して湖底を干潟としました。
幕末には、農村指導の先駆者・大原幽学が長部村を訪れ、農村を再興させました。同じく幕末に、国学者の宮負定賢・宮負定雄父子も村の和合や農業改良に努めました。一方、九十九里沖の豊かな漁場を求めて関西の漁民がやって来るようになり、飯岡助五郎は、イワシ漁を中心とした漁業の発展に尽力しました。
明治に入り、政府の「畑作奨励策」の下、鎌数村の金谷総蔵が落花生栽培を普及させ、総武鉄道が開通して大量輸送が可能になると、落花生の加工工場が数多く造られました。また、昭和初期からスイカ、カボチャ、サツマイモ(甘藷)などの生産が盛んになり、特に甘藷栽培は穴澤松五郎の功績で発展しました。
2.旭市の伝統行事
(1) 太田八坂神社のエンヤーホー
太田八坂神社のエンヤーホーという行事があります。毎年7月27日の夜間に八坂神社祭礼において行われる神事「つく舞」の通称で、「陰陽法(いんようほう)」の掛け声が転化したものといわれ、無言劇と高い柱上で演じられる様々な軽業で構成されています。
無言劇は、「赤獅子」「おかめ」等の張り子の面を付けた演じ手が演ずる芸能であり、軽業は「赤獅子」の面を付けた「昇り(のぼり)獅子(じし)」と称される舞の演じ手が、舞台の傍らに立てられたつく柱上で曲芸を演じるもので珍しいものです。
江戸時代頃から地元の祭礼と曲芸が結びついて独自に伝承されてきた希少なものとされています。
・所在地:旭市 二の2089
・アクセス:JR総武本線「旭駅」から徒歩15分
(2) 黒虎相撲(くろこずもう)
太田神社の境内において、氏子が集まって、玄武(黒)、白虎(白)、青龍(青)、朱雀(赤)を表す四本の柱を立て土俵を作って相撲を奉納するものです。毎年の霜月朔日(現在の11月3日)に行われます。
安永九年(1780)、太田出身の江戸の商人三名が力石を奉献した時に相撲を奉納したという言われがあります。境内には今も力石もあって重い石を持ち上げては競い合ったことがわかります。
・所在地:太田神社 千葉県旭市ニの1522
・アクセス:JR総武本線「旭駅」から徒歩15分
(3) 西宮神社例大祭・とがらしごぼう
西宮神社のご祭神おえびすさまの教えは、人の生活には、常に笑顔と我慢が大切である。仕事も、商売でも、人に接するときは、常に笑顔と忍耐を忘れなければ、仕事もでき、世の中も明るくすることができるであろう、というものです。
春の大祭(1月18日)の寒い季節に、栄養価の高い食べ物をつくり、怒って(とがって)はならない、という教え(御法)の言葉から「とがらしごぼう」と名づけ、これを神前に供え、氏子などに分けるものです。
食べ物である「とがらしごぼう」の材料は、味噌、血行をよくして体を温めるカプサイシンという成分をもつ唐辛子、整腸のはたらきを持つ牛蒡(ごぼう)などの材料を入れ、味を付けて混ぜ合わせます。
・所在地:旭市 ロ1381-1
・アクセス:JR総武本線「旭駅」から徒歩10分
(4) 鎌数(かまかず)の神楽(県指定無形民俗文化財)
鎌数伊勢大神宮は、寛文12年(1672年)に伊勢皇大神宮より分霊をうつしして干潟の総鎮守産土神としておまつりした神宮であり、ここで行われる神楽は、江戸中期の宝歴6年(1756年)から続き、毎年、3月27日・28日に舞で五穀豊穣を祈願します。太鼓・鼓・笛による古式豊かな演奏も加わり、神楽をさらに引き立てます。昭和40年に千葉県無形民俗文化財に指定されました。
・所在地:旭市鎌数4314
・アクセス:JR総武本線「干潟駅」から徒歩20分
(5) 雷神社の御神幸(らいじんじゃのごじんこう)
20年に1度行われる「雷神社の御神幸」は、お神輿が各町を巡行しながら最後に銚子市外川の浜へ「お浜降り」をする神事です。約900年前に始まり54回実施されています。
・所在地:旭市見広1371
・アクセス:JR総武本線「倉橋駅」から徒歩28分
(6) 水神社永代大御神楽(県指定無形民俗文化財)(すいじんじゃ えいたいおおみかぐら)
後草地区にある水神社は、村の鎮守として深い信仰を集めてきました。この水神社で3月の第1日曜日に奉納される神楽が「水神社永代大御神楽」で、通称「うしろぐさ神楽」とも呼ばれています。古式ゆかしい衣装に身を包んだ優雅な舞は、いにしえの情景を今に色濃く伝えています。最後に神楽の舞台上から客席に新粉餅を投げる場面があり、これを食べると無病息災になるといわれています。昭和29年に県の無形民俗文化財に指定されました。
・所在地:旭市後草1923
・アクセス:JR総武本線「飯岡駅」から徒歩10分
(7) 倉橋の弥勒三番叟(県指定無形民俗文化財)(みろくさんばそう)
倉橋の弥勒三番叟は、雷神社の御神幸の際に、露払い役として演じられる芸能です。番所の殿様に通行許可を願い、その許可のお礼として舞う姿を再現したものです。昭和42年に県の無形民俗文化財に指定されました。
(8) 熊野神社の神楽(県指定無形民俗文化財)
熊野神社の神楽はこの地方では最も古い伝統があるといわれ、現在では春分の日に、熊野神社の大御饌祭、太々講社祭とともに行われて奉納されています。昭和55年に県の無形民俗文化財に指定されました。
・所在地:熊野神社 旭市清和乙715
・アクセス:JR総武本線「旭駅」から千葉交通バス「小見川」行き、「松沢坂上」下車徒歩1分
3.指定文化財
文化財とは、日本の長い歴史の中で生まれ、育まれ、今日まで守り伝えられてきた貴重な財産のことをいいます。市内には、国指定文化財である大原幽学遺跡や大原幽学関係資料のほか、県及び市指定の有形・無形文化財、民俗文化財及び記念物などが数多くあります。
国指定文化財は次のものです。
・大原幽学関係資料
・大原幽学遺跡 旧宅・墓及び宅地耕地地割
(1) 大原幽学(おおはらゆうがく)遺跡 【国指定史跡】
大原幽学は天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、長部村(現:旭市)を中心に房総の各地をはじめ信州上田などで、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導しました。
天保4年頃から独自の実践道徳である性学の教説活動を始め、弟子として入門する者が次第に増えていき、天保13年(1842)には香取郡長部村に定住しています。
長部村に腰を落ち着けた大原幽学は、農民を指導し農村の復興を図り、農業協同組合である先祖株組合(せんぞかぶくみあい)をはじめとして農民が協力しあって自活できるように各種の実践仕法を行って成果をあげました。
しかし急激な性学運動の発展と農民が村を越えて労働と学習を共にしたことが幕府の怪しむところとなり、幽学は幕府の取り調べをうけた末、有罪となり、失意のうちに安政5年(1858)3月8日、自殺により62歳の生涯をとじました。
長部村を中心に後半生を村の改革に捧げた「大原幽学」の旧宅は天保13年(1842年)に下総地方の信奉者たちが、住居兼教導所として提供したものです。
・所在地:旭市長部(ながぺ)345-2
・アクセス:JR総武本線「旭駅」から千葉交通バス「小見川」行き、「中和バス停」下車徒歩20分
(2) 大原幽学記念館と遺跡史跡公園
財団法人八石性理学会によって管理されていた大原幽学の遺跡と大量の資料が、昭和61年に干潟町(現旭市)へ寄贈され、平成3年には407点の幽学関係資料が国の重要文化財に指定されました。干潟町(現旭市)では、地域文化の発展のために幽学関係の資料、郷土の歴史・民俗に関する資料を公開するための施設として、大原幽学遺跡史跡公園内に大原幽学記念館を建設しました。また、豊かな緑に囲まれた史跡公園内は、椿の里として約3,000本の椿があり、2月下旬から4月初旬まで、白、ピンク、赤の順に開花し、桜の時期には両方鑑賞できます。
4.寺院、神社など
(1) 龍福寺(りゅうふくじ)
周辺一帯が、県の郷土環境保全地域および鳥獣保護区域に指定されている豊かな自然に囲まれた寺院です。不動信仰の対象として、九十九里の漁師や近隣の人々の信仰が厚いお寺で、本尊として不動明王とその使いである制叱伽(せいたか)、矜伽羅(こんから)の二童児をまつっています。岩井のお不動様とも呼ばれています。
岩井滝不動とも呼ばれ、本堂の裏手には滝が滔々と流れています。自然林にとり囲まれた境内は、寒地性植物と暖地性植物が共存し、生態学的にも貴重とされ、県の郷土環境保全指定を受けています。湧き水が流れる自然林に囲まれた寺と言えるでしょう。
・所在地:〒289-2602旭市岩井120
・アクセス:東関道成田ICより東総広域農道経由、銚子方面へ40分
(2) 玉崎神社
玉崎神社の本殿は、元禄10年(1697年)に建てられた一間社流造りで見事な彫刻が施されています。日本武尊が東夷征討の際に、近くの竜王岬に上陸し、ここに海神を祀って戦勝を祈り、八木連をして奉仕させたのが始まりと伝えられています。本殿は昭和48年(1973年)に、拝殿は平成17年(2005年)に千葉県の有形文化財に指定された。
・所在地:〒289-2705 旭市飯岡2126
・アクセス:a. JR旭駅からバスで15分飯岡車庫前停留所から徒歩で1分
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東関東自動車道 大栄ICから車で35分
(3) 木曽義昌の供養塔
木曽義昌は、天保9年(1540年)木曽義康の長男として生まれました。朝日将軍、木曽義仲の後裔となる戦国武将です。天正18年(1590年)に下総蘆戸城(旭市網戸)へ一万石で移封されました。文禄4年(1595年)に病のためその地で生涯を終えました。遺体は城の北西方の椿湖に水葬されたといわれています。
・所在地:〒289-2511 旭市イの2337
・アクセス:a. 旭駅から徒歩で25分 b. 東関東自動車道 大栄ICから車で30分
(4) 飯岡助五郎の墓
浪曲「天保水滸伝」中では遊侠渡世の悪役ですが、飯岡助五郎は付近一帯の網元として漁業経営を行い、海岸に護岸を築くなど社会政策にも功労がありました。墓は光台寺にあります。
・所在地:光台寺 旭市 飯岡1524
・アクセス:JR総武本線「旭駅」から千葉交通バス「銚子双葉町」行きにて18分、「玉さき神社前」下車徒歩10分
国指定文化財に大原幽学関係資料と遺跡などがあります。大原幽学は天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、旭市を中心に農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。また、木曽義仲の後裔となる戦国武将の木曽義昌の供養塔もあります。